20歳のときにはなかなか分からないこと

20歳のときに知っておきたかったこと

一応曲がりなりにも数年社会人をやってきたものとして、リクルートスーツに身を包み、どうせ読まれもしないエントリーシートを書きまくり、会社説明会からOB訪問へ奔走するシューカツ生に、いくつか伝えたいこともある。


いい歳こいたオッサンが、就活してる若者とかを見たときに
「俺も今なら色々分かってるけど、あれくらいの歳のころは何も分かってなかったなぁ」
という感慨と共に、若者に向けて親切なアドバイスを送るアレです。

おおまかには元記事に同意するところが多いのですが
(特に小タイトルを中心に)違和感を感じた点を書きだしてみました。


ということで、純真無垢な就活生に向けた最初の(メタ)アドバイスは

オッサンが「20歳のときに知っておきたかった」と話す内容は
そのオッサンが社会経験を経て理解したことであって
学生の君がいま聞いたところで、深く理解することは難しい。
別に心配はいらない。君も社会で経験を積めばいずれ分かるようになる。

です。そう言ってしまうと見も蓋もないですね。


まぁせっかくなので、各論に進みましょう。

1.大人だからといって何でも知っている訳ではない

「専門外の知識は浅い」は同意ですが、「何も知らない」という表現は言い過ぎかなと。

2.たいていの人は何か一つくらいは長所がある

大人に限らないかなと。

3.ただ読むだけじゃなく、読んだ内容を考えよう

「能動的」って言葉がいまいちピンとこなかったので。

4.考えた内容を文章に書きだそう

同上

5.人を助けよう。助けたいと思う人を見つけよう

「なんでもいいから」が命令文に続いていることに違和感を感じました。
前段階として自分の中に「誰かを助けたいと思う気持ち」を確認した上で
それを実践に移す。実践を妨げている原因を見つけて取り払ってみる。
そういうプロセスの方が重要なんじゃないかと思います。
「いろいろと助けているのに、お礼もなければ、利用するだけ利用して後は知らんぷりという奴」
が「自分が本当に助けたいと思う人」なのであれば、無視をせずに助けるべきだと思います。

6.困ったときは助けてもらおう。助けてと言えるようになろう。

「なんでもいいから」だと安直に聞こえるので。

7.テストで点数を取るための勉強ではなく、知識を役立てる術を身につけよう

「覚えろ」という表現が丸暗記を連想させるので。

8.英語が使えれば何かとラクできる

そのまま同意。

9.ホントのやさしさ???

言わんとしていることは分からなくもないのですが、何かすごく違和感を感じます。
まだ上手く言語化できていないので、気が向いたらあとで追記します。

10.いつの時代も、主人公は自分だよ

今に限らないですよね。



以上です。ブコメ・コメント大歓迎です。

普通の人を連れてきてフラットな組織として回すのはどれだけ大変かという話

権限移譲とか自発性とかそんな話

俺には細かい論点を整理しつつ個別に指摘するような細かいまねができなかったので、単に自分の思ってることだけを書きました。

店長のように面白い文章は書けませんが、論点を整理しつつ個別に指摘するのは割と得意なのでやってみました。

論点を整理

前提知識の部分で齟齬があると面倒なので、かなり基本的な概念から私なりの理解で整理・再定義しておきます。

  • 人間は、一人では達成できない目標を達成するために、複数人が協力して行動することがある。この集団を組織と呼ぶ。
  • 集団が組織として目標を達成するためには、構成員の間で目標を共有し、各自が効果的に行動するためにコミュニケーションが必要である。
  • 構成員同士が直接コミュニケーションした場合の手間は、人数の二乗に比例して増大する。
  • 目標を効率よく達成するために、目標や構成員がすべき行動を集団の代表者が決定し、他の構成員は代表者の決定に従って行動する仕組みが使われることがある。これを指揮と呼び、指揮を行う者を指揮者(リーダー)と呼ぶ。
  • ほとんどの人間には、指揮できる相手の数に上限がある。それを超える人数が単一の組織として行動するために、複数の指揮者を階層的に配置し、上位の指揮者が下位の指揮者に指揮をする構造を使うことがある。本エントリでは、これを階層型組織と定義する。
  • 人類の歴史において、企業、行政、軍隊をはじめとする中規模以上の組織は、階層型組織が多数を占めてきた。

ここまでは割と当たり前な内容なので、あまり異論は出ないと思います。
人類が長らく使ってきた階層型組織には当然ながら問題点もあって
それに対するアンチテーゼとして、いわゆるフラットな組織が提唱されるわけですが
対立概念である以上、両者には一長一短があるはずです。

階層型組織 フラットな組織
トップダウンな指揮・命令系統 個人の独立した判断・行動
明示的で静的な分業・分担 暗黙的で動的な分業・分担
硬直化しやすい(変化に弱い) 硬直化しにくい(変化に強い)
大規模化しやすい 大規模化しにくい
個人への依存度が低い 個人への依存度が高い
教育コスト低い 教育コスト高い

個別に指摘

ここまで整理した上で、各記事を読み直してみましょう。


「それがリーダーってもんだよ」

Miyakeは何やら上機嫌で、滔々と自分のエピソードを語っていた。どうやらある有名インターネット企業の初期社員らしい。
でな、その会社に行って俺ははじめてボスになり部下を持ったんだ。

俺はその時に気づいたんだよ。リーダーであるってことは、自分の能力の無さを認められること、自分よりも何かで優れている人たちが「この人と一緒に仕事をしたい」と思えるような人であることだって。
それがわかってから、俺は自分は自分が得意なことを頑張り、あとは信用できるチームメイトたちに任せることにしたんだ。そしたら瞬く間にチームリーダーとして結果が出るようになったのさ。

いいか、覚えておけ。おれにしてもお前にしても、それなりに成功するってことは、なにかは得意なんだ。でも大体のことは不得意極まりない。全部自分でやろうとするな。自分よりも何かで優れている人たちが、その何かでお前のためにチカラを貸したいと思うような人間になれ。
それがリーダーってもんだよ。

Miyake風の投資家が語っているのは、階層型組織における指揮者の心得ですね。


権限委譲、リーダーシップ、チーム

小さなチーム

立ち上げたばかりのプロジェクト、例えば有志で集まってカンファレンスを開こうとしたときの事務局とか、オープンソースで何かソフトウェアを書こうとか、知人と一緒に漫画を書いてコミケに出展しようとか、あるいはスタートアップなベンチャー企業でもいい。なんでもいい。
そういうプロジェクトは得てしてゴールが明確だけどその達成のために色々と大小課題が沢山転がっているというところからスタートする。

こういう状況の場合、良いチームでは、先の「権限委譲」みたいな考え方で物事が進むのではなくって各個人がそれぞれ「おれこれやるわ」「じゃあ私は前にやったこともあるしこれを」という感じで課題が消化されていく。ありがちな言葉で言えば共通のゴールをみながら各メンバーが自発的にプロジェクトに「コミット」する・・・という空気。スクラムとかが目指しているプロジェクトのあり方、というのはそういうことだと思う。

リーダーの役割

何かの課題を複数人で解決するという同じテーマに対して「権限委譲」の方で示した構造と、後に示したチームの構造は大きく異なる。で、自分の考えるリーダーの役割というのは決して「権限を委譲する」、みたいな「自分の中から一部を相手に託す」ことでななく、チームの構造を後者の形になるように整えるということなんじゃないかなとおもう。

自分は過去10数年働いてみて、大きな組織が苦手だなということが身に染みてわかった。小さな組織では、あまり苦労しなくてもチームがその理想に近いチームとして機能する方向に全体の力学がはたらく。

naoyaさんには、フラットな組織が合っているようです。そこまでは良かったのですが、

リーダーシップにはいろいろな「型」があるだろうから、必ずしも自分の考え方がベストであるとは思わない。
けれども、経験的には前者よりも後者の方がみんな活き活きするようには見えます。

もちろん、モチベーションがゼロの人たちをその状態まで持っていくのは大変な話だというのは理解します。スタートアップや小さい組織ではその前提が成り立ちやすいから良かったという感想を自分も書きました。前提が成り立たない組織、大きな組織では理想的な状況を実現するのは大変ですが、だからといってリーダーシップとはどういうことかという本筋は変わらず一緒だろうと思います。

上記にまとめたように、階層型組織とフラットな組織には一長一短があると私は思います。
にも関わらず、フラットな組織の短所を「実現するのは大変」の一言で片付けてしまい
「あらゆる組織はフラットであることが万人にとって理想である」という主張に受け取れる書き方をしてしまっているので
組織運営に一家言ある皆さんを点火してしまったのではないかと思います。


個人的にはまったく間違いだと思うのだが(追記あり)

イノベーションを追及するというチーム編成をする、ということであればギリギリ権限委譲はナンセンスだと言えるかもしれないけど、そういう最先端でクリエイティブな世界で飯を食って、それ相応の報酬や評価を得られる人なんて何万人も日本にいないんじゃなかろうか。

大多数の人々は、フラットな組織に投入するよりも、階層型組織に投入した方が生産性が上がる。という経営者目線の指摘。


権限移譲とか自発性とかそんな話

どんな観点から見ても、組織の方向性を定める人間は必要です。そして「定める」人間がいる以上、そこにはかならず権限というものが発生します。よって移譲も必要になります。
みんなが自分から役割を買って出るためには、みんなが全体像と方向性を共有しなきゃいけない。それが可能なのは、みんながそれ相応にあたまよくて、意識が高い場合のみです。そしてそんなすばらしい世界はクソ高学歴な世界で、英語のなんとかっていう試験の点数が全員1億点突破だとかそういうすんげえ場所にしかありません。
水飲みたいの話でいえば「水飲みたいなあ」ってだれかが言ったときに「じゃあ俺が水買ってくるわ」って名乗り出る人がいればまだ上出来で、実際には「水って買うんすか?」「自販機で売ってんだろ」「まじっすか!初耳です! で、自販機ってどうやって使うんすか?」というのが日常的に発生するのが俺のいる世界なわけですよ。「デノミネーションって知ってる?」って聞いてあるいたら、店内に知ってる人間ひとりだけでした。そんなんだったら俺が買いに行ったほうが早い。長期的には水の買いかたなりなんなり教えないと俺が死にますけど。

ここまでは隊長の指摘と同じ。
日本のありふれた田舎で人を集めただけでは、フラットな組織として回らないという話。

ちなみにいま、うちの店は実は「みんなが自分のやれることをやる」をうまく組み合わせて、そこそこ戦える店になってると思います。ここまで来るのに何年かかったか……。
もちろんその影にはえんえんとその方向めざして俺が努力してきたってのもあります。

naoyaさんが「理解している」「大変な話」を実践した経験談。とても貴重。

まとめ

naoya「自分の経験から言って、階層型組織よりもフラットな組織の方がみんな幸せになれるので、リーダーはかくあるべし。大変だと思うけど。」
隊長「大変だと思う、で済めば世の中の経営者は苦労しない。ほとんどの経営者は苦労が嫌いなので階層型組織を使う。」
店長「自分の環境でフラットな組織を作って回すために、こういう苦労をした。」

ブコメ・コメント大歓迎です。

説明の訓練は語学学習に通じる(仮説)

俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠

自分はブロガーじゃないけど、たまにブコメが100文字じゃ足りなくなる。次にそういう機会があったらダイアリに書いてトラックバックしてみよう

どうやら今日がその機会のようなので、今日からブログを始めてみようと思います。



説明下手のバイトに説明のやりかたを教えるために悩んでいる
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/02/19/103027


私も自分の考えを言語化したり人に説明したりするのは得意なほうで、特にコレといった訓練をした訳でもなく、もともと読書や議論が好きだったので、自然と上手くなった部類です。
なので、幼い頃からそういう経験をあまり積んでこなかった人のことは想像でしか語れないワケですが、親しい知人にも何人か説明の上手くない人がいるので、その中の一人が自分の部下になったとしたら自分ならどうするか、という想定で思考実験してみました。

まず、問題のフレームを一段階抽象化すると、これは語学能力の訓練である、と言えます。
語学の能力は、読み・書き・聞き・話しに分類でき、さらに言語(日本語や英語)などの区別が付きます。
元エントリの店長候補さんは、日常生活で必要な日本語には特段不便していないようですが、"社会人として仕事上のコミュニケーションを行うための日本語能力"は、まだ未成熟であるようです。

さて、問題を語学能力の習得・向上へと抽象化したので、例えば日本語話者が英語を習得する際のノウハウなどを援用して問題の解決策を考えることができます。
あらゆる言語・社会において当てはまる常識として、2人の人間が1対1でコミュニケーションする際には、文字を用いた筆談よりも、会話の方が短時間で意志を伝えることができます。
そのため、言語を習得する際の最終目標は「自分が他者に伝えたいことを話す能力の習得」になります。

一方で、子供が言語を習得する過程として知られているように、「ことばを話す能力」というものは、「他者が話していることばの聞き取り」→「聞き取った内容の理解」→「理解・習得している語彙を用いた発話」という過程を得て獲得されます。
日本語の「学ぶ」は、「真似る」から来ているという説も、同じことを言っているように思えます。

ただし、「未知の言語を理解できないままに聞き続けながら、発音の試行錯誤を重ねて話せるようになる」という習得法が効果的なのは小さな子供だけです。最低1つの母語を習得している大人であれば、リスニングだけをひたすら続けるよりも、文字を使って意味の理解を促進した方が学習効率は格段に高まります。

学校の教科書が「文字で書かれた本」であって、同じ内容をアナウンサーが話したCDでないのは、人間は音声を聞き取るよりも、文字を読むほうが高速に情報を入力できるからです。
きちんとした根拠は調べていませんが、情報の入出力速度でいえば、読む > 聞く > 話す > 書く の順になると思います。


さて、だいぶ話題が発散してしまったので、そろそろ結論に入っていきたいと思います。

店長のエントリでは、店長候補さんに「仕事で使う言葉」の能力を身につけさせるためのステップとして、読書→朗読→作文→プレゼン という順序で訓練する計画であるということでした。
これはとても効果的な訓練方法だと思います。その上で、少しだけ改良の余地があると思います。

1つめの問題点として、読書する本の語彙と、最終的に獲得したい語彙の不一致が心配です。仕事で役立つ語彙を習得するのであれば、新聞を読むのが効果的なのですが、本人にとって面白くない文章を読み続けることは苦痛になりかねません。
また2つめの問題点として、「自分のアウトプットしている文章が、他者からはどう見えるか」というフィードバックが少し弱いように思えます。

そこで提案したい訓練方法は、「店長が日々の業務指示を文字に書いて店長候補さんに渡し、勤務した結果の報告を文字で書いて提出させ、疑問点・不明点もまた文字に書いて指摘する」という訓練です。コンビニ交換日記。あるいは単なる業務日誌。

業務日誌の最大の長所は実践的であることです。最終的に身につけたい語彙そのものを最初から使えば良いのです。もちろん、初期段階として文章を読んでも意味が理解できない場合に、文章の意味を質問することは許容します。ただし、ふりがなを振った上で音読させるなどの方法で、できるだけ自力で文章を理解し、その内容に従って日常業務を遂行する習慣を身につけさせます。

「毎日顔を合わせているのに、なんでわざわざ紙なんて面倒なことをしなきゃいけないんですか?」といった疑問は当然出てくると思います。その辺りは、店長から店長候補さんへの申し送りが口頭でできないようなシフトの時から導入するなどの工夫で、納得できる理由を見つけてあげて下さい。

作文をさせる内容が、「文章で指示された業務に対する報告」であるというのもミソです。
報告書には、指示書と対になる内容を書けば良いので、必要な語彙はほとんど指示書から拾ってこれます。大学入試の現代文で出題される作文は、本文の切り貼りで回答できるのと同じです。そうやって店長が書いた文章を切り貼りしていく内に、同じような文章を自分でも書くことができるようになります。

最後に、私の提案を整理すると、下記の2点になります。
(1) 他言語の習得と同じで、読み→書き から始めて 話し へとつなげていくべき(聞き は足りている想定)
(2) 訓練であっても、題材はできるだけ実践的であるべき。最終目的への近道であるし、モチベーションも得やすい。

以上です。コメント・ブコメを頂けたら嬉しいです。